まず初めに
これは、笑えない。オープンソースの侵入テストツール「ARTEX」は、本来は防御側が自分の穴を確かめるための道具だ。それを、国家の後ろ盾を持つとされる攻撃集団が丸ごと転用した。毎分2,900回に達したパスワードスプレーでは認証成功が観測されなかった。一方、別経路で悪用されたのはIT管理ツールに与えられていたアプリの資格情報だ。性能だけ見ればよく出来ている。だが、よく出来ているからこそ始末が悪い。
※個人の感想です
何が起きているのか
Microsoft Security ResearchとMicrosoft Threat Intelligenceは2026年10月21日、公式ブログで「AI-driven, large-scale nation-state campaign using ARTEX enables supply chain compromise」と題した記事を公開しました。発表によれば、攻撃主体は2021年から活動する中国国家に連なるとされる攻撃グループ「Storm-0940」です。パスワードスプレー、インターネットに公開されたアプリの悪用、侵害済みアカウントを足がかりにした横展開など、データ窃取を狙った手口を複数業界に対して使ってきたとされています。
今回の中心にあるのが「ARTEX」という、オープンソースの自律型AIペネトレーションテストフレームワークです。任意のAIモデルを組み込める複数エージェント構成のLLMシステムで、バックエンドはGo、フロントエンドはNext.jsで作られています。偵察から資産の発見、脆弱性の特定、データ窃取までを、人手をほとんど介さず自律的に実行し、見つけた情報をグラフとして蓄積する機能も持ちます。Microsoftは、ARTEXが2026年10月に韓国の金融機関を狙った個人情報侵害で使われたとの報道もあると説明しており、複数地域の攻撃者に使われていることを確認しています。
攻撃対象となったのは、IT管理ツール大手ConnectWiseの複数アプリです。2026年10月16日、ConnectWiseは複数のOAuthアプリのID経由で顧客テナントへの不正アクセスがあったことを公表しました。Microsoftの分析では、攻撃者はConnectWiseのクラウドアプリである「ConnectWise Cloud Backup」「ConnectWise - MS Teams」「ConnectWise - MS Graph」「SkyKick Partner Portal」の資格情報を掌握し、顧客テナントに既に与えられていた信頼・権限を使って、対話的なユーザーのサインインを必要とせずに認証したとされています。記事は、これがMicrosoft自社の製品・サービスの侵害や脆弱性によるものではないと明記しています。
攻撃の規模を示す数字も具体的です。2026年10月10〜14日には、144.172.64.99という送信元から、Microsoft 365とExchange Onlineを狙ったクロステナントのパスワードスプレーが観測され、327個のアカウント・8組織が対象となりました。失敗したログオンは合計で15万1,000件を超え、ピークだった10月11日だけで11万1,000件超に達しています。1,000回以上の試行を受けたアカウントは48件あり、全体の活動の約98%がロックアウトという結果に終わったとされています。この時点ではログイン成功は観測されなかったとMicrosoftは説明しています。
しかし、侵害したアプリの資格情報を使った侵入は別です。4つのアプリ資格情報を使い、4分足らずで200回超のサインインに成功した事例が確認されています。侵入後はMicrosoft Graphを使った偵察、アプリ資格情報の追加・変更による永続化、ID・グループ・特権ロールの変更が行われ、特権アクセスを得た事例の一部では、標的設定から実際の特権アクセスまで3時間未満だったとされています。ConnectWise経由で到達した顧客テナントは2,250を超え、標的業種は航空宇宙・防衛、自動車、化学、エネルギー、金融、政府、法律、製造、メディア、軍事、半導体、ソフトウェア、テクノロジー、シンクタンク・非営利団体など多岐にわたっています。
なぜ重要なのか
今回の事案が重要とされる理由は、大きく2つあります。第一に、攻撃の速度が人間の限界を超えている点です。毎分2,900回というログイン試行の規模や、4分足らずで200回超のサインインに成功したという速さは、人手による攻撃では現実的に難しいものです。Microsoftは本文中で「Agents are not constrained by factors affecting humans(エージェントは人間を制約する要因に縛られない)」と述べており、AIによる自律的な攻撃が、量と速度の両面で従来の攻撃とは違う次元に入ったことを示しています。
第二に、攻撃の経路が「正面からの侵入」ではなく「既に与えられた信頼の乗っ取り」だった点です。ConnectWiseのような多数の顧客企業に使われるマルチテナント型のITツールは、1つのアプリの資格情報が奪われるだけで、そのツールを使う多数の顧客テナントへ一気に波及するリスクを抱えています。対話的なユーザーのサインインを必要としないため、多要素認証(MFA)のような、人の操作を前提とした防御策をすり抜けやすい点も見過ごせません。これは、IT管理やセキュリティ業務を外部のツール・サービスに委託している組織すべてにとっての、サプライチェーン攻撃のリスクを改めて示す事例だとMicrosoftは位置づけています。
私たちへの影響
今回の事案で直接の対応が必要になるのは、ConnectWiseの製品(Cloud Backup、MS Teams連携、MS Graph連携、SkyKick Partner Portal)を利用している企業や、そうした企業にIT運用を委託しているMSP(マネージドサービスプロバイダー)の顧客です。標的となった業種には、航空宇宙・防衛、金融、製造、エネルギーなど、日本企業の取引先や海外拠点が含まれる業界も多く挙がっています。
一般の個人利用者が今すぐ直接何らかの操作をする必要はありません。ただし、自社のIT運用を外部のMSPやクラウド管理ツールに委託している中小企業にとっては、他人事とは言えない事案です。委託先がどのツールを使い、どのような権限を与えているかを把握していない状態そのものが、今回のような攻撃の波及を大きくする要因になり得ます。
初心者が知っておくべきこと
自律型のAIエージェントとは、人が一つひとつ指示を出さなくても、与えられた目標に向けて自分で手順を考え、実行し続けるAIの仕組みのことです。侵入テストの世界では、本来は自社システムの弱点を自分で見つけるための道具として使われますが、今回のように攻撃側に使われると、人手を介さない分だけ攻撃の速度と規模が跳ね上がります。
OAuthとは、あるサービスのIDやパスワードを直接教えることなく、別のサービスに限定的な利用権限だけを渡すための仕組みです。今回の事案では、攻撃者が人の目に入りやすい「ログイン画面からの不正侵入」ではなく、アプリ同士の連携のために発行されたOAuthの資格情報そのものを奪うことで、利用者のサインイン操作を介さずに侵入しました。この経路は、1つの取引先・委託先のアプリが侵害されると、そのアプリを使う多数の顧客に被害が広がる「サプライチェーン攻撃」の典型例です。
Q. 自分の会社がConnectWiseを使っているかどうか分からない場合、何を確認すればよいですか。
A. Microsoftの発表では、侵害されたアプリは「ConnectWise Cloud Backup」「ConnectWise - MS Teams」「ConnectWise - MS Graph」「SkyKick Partner Portal」の4つと具体的に名前が挙げられています。自社のIT部門やMSPに、これらのアプリ名を伝えて利用の有無を確認し、利用している場合はConnectWiseの正式な復旧手順が出るまで該当アプリの連携を無効のままにすること、2026年10月1日以降のサインインログ・監査ログを保全することが、Microsoftの推奨事項として示されています。
Q. パスワードスプレーで失敗したログインがほとんどだったのに、なぜ大きな問題なのですか。
A. 今回公表された数字では、パスワードスプレー自体はほぼすべてロックアウトされ、ログイン成功は観測されなかったとされています。問題は、別の経路——侵害済みのアプリ資格情報——を使った侵入では、4分足らずで200回超のサインインに成功し、一部では3時間未満で特権アクセスまで到達した点です。パスワードスプレーの失敗率の高さだけを見て安心すべきではない、という点が今回の事案の重要な教訓です。
IT Postの見方——誰のための「信頼」が奪われたのか
IT Postは、Microsoftが具体的なアプリ名・数字・検知手法まで公開し、被害組織が自分で確認できる形にした点は評価できると考えます。被害の有無が分からないまま放置される事案が多い中、確認すべきアプリ名を名指しで示した対応は、実務上の助けになります。
一方で気になるのは、サプライチェーン攻撃という構造そのものです。今回直接狙われたのはConnectWiseという一つのベンダーですが、実際に被害を受けるのは、そのベンダーのツールを信頼して使っていた多数の顧客企業です。IT Postでは、こうした構造的なリスクは、大企業よりも自前のセキュリティ監視体制を持たない中小企業やその先にある個人の情報にこそ、気づかれないまま及んでいくものだと考えます。委託先・取引先のツールを信頼する以上、その信頼が何を根拠に与えられているのかを定期的に見直す仕組みが、企業規模にかかわらず求められているはずです。
※個人の感想です
今後どうなりそうか
Microsoftの発表時点では、ConnectWise側の正式な復旧手順は示されておらず、同社の対応の進展を待つ必要があります。IT Postでは、ConnectWiseや関係機関から復旧状況や被害範囲についての続報が出た場合、あらためて確認していきます。また、Microsoftは今回のようなAIを使った自律型の攻撃が今後も増える可能性を示唆しており、オープンソースの侵入テストツールが攻撃側に転用される事例が他にも見つかるかどうかも、注視すべき点です。