AI・生成AI 31年間解けなかった数学の超難問「KLS予想」はなぜ解けたのか。AIが示した100通りの道筋をどう絞り込んだかを確かめる 1995年に提唱された「KLS予想」をマイクロソフト研究所が証明。複数のAIエージェントによる約100通りの探索経路から、人間がどう絞り込んで突破口を見つけたかを一次資料から確かめた
まず初めに
31年。数学者たちが「たぶん正しいんだろうけど、証明はできません」と言い続けてきた年数が、である。そこへ複数のAIエージェントと研究者が約100通りの探索経路を試し、突破口を見つけた——というのが今回の話。もっとも、AIに「あとは任せた」と丸投げした別の挑戦は失敗しており、結局最後に効いたのは人間の目利きだったというのが、なんとも面白い。
※個人の感想です
何が起きているのか
Microsoft Researchは2026年10月21日、1995年にKannan、Lovász、Simonovitsの3人が提唱した「KLS予想」を、Xinzhi Zhang氏(機械学習・最適化グループ所属)とZhao Song氏が証明したと発表しました。KLS予想は「対数凹分布たいすうおうぶんぷ 」と呼ばれる幅広い高次元の確率分布について、体積を二等分する「平らな面(超平面)」による最良の切り方が、どんな形の切断による最小の切断面積とも、次元数に依存しない一定の比率(定数倍)以内に収まるかを問うものです。この切り方の効率はランダムウォーク(ランダムな動き)が分布をどれだけ速く探索できるかにも関わり、高次元のサンプリング理論でも中心的な役割を持ちます。
1995年以降、証拠は積み重ねられてきましたが、2026年7月時点の最良の結果でも、この「比率の上限」が次元数とともにゆっくり大きくなることを許していました。Zhang氏らはこの7月の結果を精密にすることから着手し、AIエージェントとの構造化された人間主導のプロセスで、高次のテンソル(多次元の数値配列)を使った長い計算を伴うものを含め、100通りを超える候補の手法を検討しました。100通り超、というのは普通の人間の研究チームなら何年かかるか考えたくない数字だ。 この作業から最終的な証明の土台となる新しい数学的な基準が生まれ、さらにこの基準を再帰的に(同じ手順を繰り返し適用する形で)使えることが分かりました。10月1日版の論文では、これによって次元への依存が「反復対数(iterated logarithm)」という、非常にゆっくりと大きくなる関数まで縮小されましたが、それでも次元数とともに大きくなる関数である以上、予想は完全には解決されていませんでした。
最後の一手は、この再帰的な精密化の手順全体を、一度だけでなく繰り返し適用するというものでした。これは著者らが以前取り組んだ、線形計画法(数理最適化の一種)を高速に解くアルゴリズムの研究から着想を得たとされています。各段階で生じるわずかな誤差が十分速く縮小し、その総和が次元数に関係ない一定の値で抑えられることを証明したことで、次元数への依存が完全に消え、2026年10月4日版の論文で証明が完成したとしています。
なぜ重要なのか
KLS予想は証明前から、数理科学研究所(MSRI)が「高次元の凸幾何学とつきかがく における中心的な未解決問題」、サイモンズ研究所が「凸幾何学における最も重要な未解決問題の一つ」、科学メディアQuanta Magazineが「統計学と計算機科学の多くの問題の核心にある」と評するほど重要視されていました。
もう一つの重要な点は、証明が単独の成果にとどまらなかったことです。著者らが完全な証明を投稿した10月4日、別の専門家グループが独立の証明を発表し、Microsoft側の最初の論文を「証明における重要な一歩」と評価、関連する発想による第三の証明も同日に発表され、後に最初の論文の基準を組み込んだ「Lean 4」による形式検証も公開されました。同じ日に3通りの証明が出てくるというのは、もう「正解が向こうから勝手に押し寄せてきた」状態である。 独立した複数の証明の存在は、結果が単一の論理に依存していないことを示す強力な検証とされています。
また、この研究は「人間がAIを導く」進め方の成果として示されています。問題をAIに単発で丸ごと解かせるのではなく方向付けをする進め方の有効性を示す例とされ、同じ総トークン量を使って複数のAIモデルに誘導なしで解かせた別実験は目標に届かず、最終的な成功はAIの能力と研究者の数学的判断力の両方に依存していたと結論づけています。
私たちへの影響
一般の利用者が直接対応すべきことはありません。KLS予想は専門的な数学の問題で、日常のサービスが今すぐ変わるわけではないためです。間接的には、これまでKLS予想を仮定として置いていた多くの数学的結果が、今後は無条件で成り立つと言えるようになります。こうした結果は統計学・最適化・アルゴリズム理論・計算機科学の基礎研究に広く関わるため、将来的には高次元データを扱うアルゴリズムの設計・解析の精度向上につながる可能性があります。また、AIにすべてを任せず研究者が方向性を決め、有望な芽を見極め、最終的な議論を組み立てるという役割分担が本物の科学的発見に貢献しうることを示した点は、AIを使った研究開発に取り組む企業・研究機関にとって一つの参考例になり得ます。
初心者が知っておくべきこと
凸幾何学とは、図形や空間の「出っ張った(凸な)」形を数学的に扱う分野です。KLS予想が扱う「高次元の凸幾何学」は3次元を超えた多数の変数を持つ空間での図形の性質を研究する分野で、機械学習が扱う高次元データの性質を理解する基礎にもなっています。
対数凹分布とは、正規分布(釣鐘型の分布)などを含む広いクラスの確率分布のことです。KLS予想は、この種類の分布全般について、体積を分ける切り方の効率を問うものです。
Q. この証明はAIが自動的に解いたということですか。
A. 発表によれば違います。AIエージェントは候補手法の探索・計算・原稿作成・証明チェックを支援しましたが、方向性の決定・アイデアの選択・最終的な検証は研究者が担いました。AIモデルだけに解かせた試みは目標に届きませんでした。
Microsoft Researchの公式記事に掲載されたKLS予想の図。 画像提供:Microsoft Research
IT Postの見方——31年の宿題を、人間とAIの"二人羽織"で解いた話
IT Postは、「AIが数学の超難問を解いた」という見出しだけで語るのは乱暴だと考えます。発表が強調するのは、AIに丸投げした単独の試みは失敗したという事実の方だからです。派手な見出しの裏で「結局、人間の目利きがいちばん効く」という結論が出ているのは、AIブームのただ中にいる私たちにとって、むしろ健全な話だとIT Postでは考えます。
とはいえ、100通りの候補をAIに並行して探らせ、人間が選別するやり方自体には素直に感心します。ただし、これは「正しさを機械的に検証できる」数学だからこそという面もあり、検証しにくい分野にそのまま持ち込めるかはまだ分からないとIT Postは考えます。
※個人の感想です
今後どうなりそうか
発表では、著者らが証明をさらに簡潔にし、簡略化した議論もLeanで検証を進め、査読完了後に両方を公開する予定だとされています。IT Postでは、簡略化された証明の公開や、同じ人間主導のAI活用が他の未解決問題に応用された際に、あらためて取り上げます。