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ダイヤモンドに錫を打ち込んで量子ビットにする。富士通が選んだ、絶対零度より少し暖かい道

スズ-空孔センターを量子ビットに使う世界初の構成。動作温度はマイナス271.6度で超伝導方式より高く、光でつないで拡張する狙い。2030年に250論理量子ビット、2035年に1000へ

30秒で分かる結論

富士通は2026年9月8日、ダイヤモンドスピン方式の量子コンピュータのプロトタイプを開発したと発表しました。オランダのデルフト工科大学および量子技術の研究機関QuTechとの共同研究による成果で、両者の研究は2020年から続いています。今回のプロトタイプは、ダイヤモンド結晶中のスズ-空孔(SnV)センターを量子ビットとして用いる世界初の構成です。SnVセンターは、従来使われてきた窒素-空孔(NV)センターと比べて明るさが約10倍高く、環境の雑音に対しても安定しているとされます。動作温度はおよそマイナス271.6度で、超伝導方式のおよそマイナス273.13度より高い温度です。富士通は2027年を目標に複数の量子モジュールから成るプロトタイプの開発に取り組み、さらに2030年に250論理量子ビット、2035年に1000論理量子ビットの実現を目指すとしています。

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まず初めに

量子コンピュータの話は、たいてい「マイナス273度」から始まる。宇宙で最も冷たい場所より冷たい、という決まり文句つきで。

今回、富士通が持ってきたのはマイナス271.6度だ。1.5度ほど暖かい。人間の感覚では誤差にもならないが、この世界では大違いらしい。冷やすための装置が、少しだけ楽になる。

そして材料はダイヤモンド。炭素の一部を錫に置き換えたものを使う。宝飾店の店員が聞いたら卒倒しそうな加工だが、こちらの用途では、傷ひとつない完璧なダイヤモンドより、狙って作った欠陥のほうが価値がある。世の中の役に立つのは、たいてい傷のあるほうだ。※個人の感想です

ダイヤモンドスピン方式とは何か

量子コンピュータは、量子ビットと呼ばれる単位で計算を行います。従来のコンピュータのビットが0か1のどちらかであるのに対し、量子ビットは0と1の両方の性質を同時に持つ状態を扱えます。この性質を使うことで、特定の種類の計算を効率よく行えると期待されています。

問題は、この量子ビットを何で作るかです。世界中の研究機関が異なる方式を試しており、超伝導回路、イオン、光、半導体など複数の路線が並走しています。

富士通が今回発表したダイヤモンドスピン方式は、ダイヤモンドの結晶中にある「カラーセンター」と呼ばれる格子欠陥を利用します。ダイヤモンドは炭素原子が規則正しく並んだ結晶ですが、その一部を別の原子に置き換えたり、原子が抜けた空孔を作ったりすると、特別な性質を持つ場所ができます。そこにある電子のスピンや核のスピンを、量子ビットとして使うという発想です。

スピンとは、電子が持つ磁石のような性質です。この向きを0と1に対応させます。

完璧な結晶より、狙って作った欠陥のほうが使える。研究の世界にはこの手の逆転がよくある。

透明な結晶格子の中に、規則正しく並んだ球体と、一箇所だけ色の違う球体が置かれた抽象的な科学イラスト
生成AIによるイメージ。実物や実際の画面ではありません。

スズ-空孔センターを選んだ理由

カラーセンターの中で、これまで広く研究されてきたのが窒素-空孔(NV)センターです。炭素を窒素に置き換え、隣に空孔を作った構造です。

今回富士通が用いたのは、窒素の代わりに錫を使ったスズ-空孔(SnV)センターです。これを量子ビットとして用いる構成は世界初とされています。

SnVセンターの利点として、発表では二つが挙げられています。一つは明るさで、NVセンターと比べて約10倍高いとされます。もう一つは、環境の雑音に対する安定性です。

明るさが重要なのは、この方式が光を使って情報をやり取りするからです。量子ビットの状態を光子として取り出し、別の場所へ送る。明るいほど、この受け渡しが確実になります。

安定性が重要なのは、量子ビットが極めて壊れやすいためです。周囲の熱、振動、電磁的な雑音。わずかな影響で量子的な状態は崩れます。これを専門用語では、コヒーレンスが失われると表現します。雑音に強い構造であれば、計算に使える時間が長くなります。

「光でつなぐ」という拡張戦略

この方式のもう一つの狙いが、光接続による拡張性です。

量子コンピュータを実用的な規模にするには、量子ビットの数を大幅に増やす必要があります。しかし、一つの装置に量子ビットを詰め込み続けるやり方には限界があります。配線が増え、雑音が増え、冷却も難しくなります。

そこで考えられているのが、モジュール方式です。ある程度の量子ビットを持つ装置を複数用意し、それらを結んで一つの大きな計算機として動かします。

このとき、モジュール間を何でつなぐかが問題になります。ダイヤモンドスピン方式は、量子ビットの状態を光として取り出せるため、光ファイバーで結ぶ道が開けます。今回のプロトタイプでは、高い忠実度と高効率の光接続が実証されたとされています。

富士通は、この方式が超伝導方式との接続にも使える可能性に触れています。異なる方式の量子コンピュータを組み合わせるという構想です。

複数の小さな箱が光ファイバーの束で結ばれ、一つの大きなネットワークを形成している俯瞰イラスト。暗い背景に光の線が走る
生成AIによるイメージ。実物や実際の画面ではありません。

動作温度が示すもの

動作温度はおよそマイナス271.6度です。超伝導方式の一般的な動作温度がおよそマイナス273.13度であることと比べると、約1.5度高い温度になります。

数字だけを見れば、どちらも極低温です。しかし、この領域では1度の差が冷却設備の規模と消費電力に影響します。より高い温度で動くということは、冷却の負担が軽くなるということです。

ただし、これは「常温で動く」という話ではありません。専用の冷却装置が必要である点は変わりません。家庭やオフィスに置ける機械になるという意味ではないことは、押さえておく必要があります。

今後の計画

富士通は、今回開発した高輝度のSnVセンターを集積する技術をさらに発展させ、2027年を目標に複数の量子モジュールから成るダイヤモンドスピン方式量子コンピュータのプロトタイプ開発に取り組むとしています。

長期の目標として、2030年に250論理量子ビット、2035年に1000論理量子ビットが掲げられています。

ここで出てくる「論理量子ビット」という言葉には注意が必要です。物理的に作られた量子ビットは誤りが起きやすいため、複数の物理量子ビットを組み合わせて、誤りを訂正できる一つの単位を作ります。これが論理量子ビットです。したがって、250論理量子ビットを実現するには、それよりはるかに多くの物理量子ビットが必要になります。ニュースで量子ビット数を比べる際、この二つが混同されることは少なくありません。

IT Postの見方――「勝ち馬に乗らない」ことの価値

IT Postでは、この発表の面白さは性能の数字ではなく、富士通が本命とされる路線の隣に別の道を用意した点にあると考える。

量子コンピュータの世界では、超伝導方式が最も注目を集めてきた。実際、規模の拡大では先行している。だが、その方式には配線と冷却という宿題が残る。量子ビットを増やすほど、装置は大きく、冷たく、扱いにくくなる。

ダイヤモンドスピン方式は、この宿題に対して別の答えを出そうとしている。小さな単位を光でつなぐ。増やしたければ、モジュールを足す。データセンターがサーバーを増やすのと同じ発想だ。うまくいけば、拡張の話はぐっと素直になる。

もちろん、うまくいく保証はない。今回できたのはプロトタイプであり、複数モジュールの実現は2027年の目標だ。論理量子ビットの数字は2030年と2035年である。研究開発の時間軸は、製品発表のそれとはまるで違う。今日のニュースが明日の製品になる分野ではない。

それでも、二つの方式をつなぐ可能性に触れている点は評価したい。どちらが勝つかを当てる競争ではなく、どちらも使える形にしておく。長い勝負になると分かっている分野での、現実的な構えだと思う。

日本の読者にとって、何が変わるのか

正直に書くと、明日の生活は何も変わらない。

それでも知っておく意味があるのは、暗号との関係だ。量子コンピュータが十分な規模で実現すると、現在広く使われている暗号方式の一部が破られる可能性が指摘されている。これを見越して、量子計算機でも破られにくい暗号への移行が世界的に進められている。

つまり、量子コンピュータの進展は、遠い研究室の話であると同時に、いま使っている通信の安全性の話でもある。移行には長い時間がかかるため、実機が完成してから動き出したのでは間に合わない。研究の進み具合が報じられるたびに、移行計画の前提が更新されていくという構造だ。

もう一つ、日本の産業という観点もある。今回の成果は、オランダの大学および研究機関との共同研究によるものだ。この分野では、単独の企業や国だけで完結する開発は現実的ではない。国際的な共同研究の中でどの部分を担うか、という問いが常に付いてくる。

よくある疑問

Q. いつ使えるようになりますか。 今回発表されたのはプロトタイプです。複数モジュール構成のプロトタイプが2027年の目標、論理量子ビットの目標が2030年と2035年に置かれています。すぐに利用できるものではありません。

Q. 超伝導方式より優れているのですか。 そのようには示されていません。動作温度が高い、光でつないで拡張しやすいといった特徴がある一方、規模では超伝導方式が先行しています。富士通自身、両方式の接続技術にも取り組むとしています。

Q. 250論理量子ビットとは、どのくらいの規模ですか。 論理量子ビットは、誤りを訂正できる形にまとめた単位です。実現には、それより多くの物理量子ビットが必要になります。単純に他社の物理量子ビット数と比較することはできません。

宝石としては失格の、錫を打ち込んだダイヤモンド。それが計算機の部品になる。研究の面白さは、こういう転倒のところにある。

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